武漢へのフライト

 

 生まれて初めて中国へ行った。武漢大学でのCHAN・ZEN・SEON国際禅研究シンポジウム参加のためである。禅ZENという言い方は日本発祥で、CHANが中国語、SEONが韓国であるらしい。

 日本の海外向けお土産品に黒地に白抜きのZen Tシャツがあったり、Steve JobsがZenに興味があり、また落ち着いた精神をZenなどと単語として日常的に話すことから、世界各国共通でZen というものだと勝手に勘違いしていたが、どうも違うようである。

 一行の大将ならぬ団長、I先生は偉大なる仏教学者であって、まるで布袋様のような徳の高い方である。私は日本語しか話せないため、今回の旅を相当ためらったが、「僕も話せないし中国語が堪能なお偉い先生方後ろについていけば大丈夫ですよ」と慰められ、まるで小学生のように、まだ見ぬ世界への期待と不安を抱えながら、素直に随行した。(むろんI先生は普通に中国語で発表され、買い物もされていたので、日本人にありがちな謙遜だったらしい。)

 ところが私自身といえば中国についてはパンダしか知らず、中国に対する知識はもとより皆無である。ちょうど地球の歩き方などのハンドブックもその情報は武漢には対応していない。旅行への不安もさることながら、自分の頭の中にはテレビから放映された過去の天安門や2005年2012年などの反日デモといった断片的なマイナスイメージの映像があり、また北京の大気汚染映像や、衛生事情が悪いというブログの情報「水道水は飲んではいけない」「屋台の食べ物には気を付ける」「トイレットペーパーは持参」などを読んで、出発前にトイレットペーパーをラッピングして荷物に詰めながらすっかり気落ちしていた。さすがに都会なのでニーハオトイレは無いだろうが、ネットの制限のためかGoogleは使えないし大学メールのGメールは読めないし、いろいろ考え始めると次々と不便なことばかりが浮かんでくる。108の煩悩どころではなく、3000念の憂いである。

 

 いや、しかしながら、かつて隋の国、唐の国と派遣まで送って高僧や留学の官人たちがその優れた文化制度を学びに行った優れた先進国である。何か学ぶべきことはたくさんあるはずであると気を取り直した。

 李白の詩にある「黄鶴楼」も武漢の名所という。これには中学か高校のときに教科書で暗記した有名な漢詩がある。「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」という。李白が親友を見送った場所である。

 故 人 西 辞 黄 鶴 楼   故人西のかた 黄鶴楼を辞し  煙 花 三 月 下 揚 州   煙花三月 揚州に下る

 孤 帆 遠 影 碧 空 尽   孤帆の遠影  碧空に尽き  惟 見 長 江 天 際 流  惟だ見る 長江の天際に流るるを

 李白気分で孟浩然との友情を懐かしみながら黄鶴楼饅頭でも買って帰ろうかと思った。

 

 ANA直行便で飛行機で四時間程度。映画を一本見てANAの夕食を食べている間についてしまう。確かに近い。また北京よりはずっと大気も綺麗で、風光明媚な場所と人から聞いて、少し気が楽になった。

 そしてとうとう武漢に到着した。グローバルな大都市である。一瞬自分はどこの国に来たのかと目を疑った。日本からアジア圏に出たことのない私に限ったことであるが、中国に対する知識が貧困すぎた。空港は巨大である。ニューヨークやフランスのロワシーと変わらない国際基準の構造・設備で、新築で機能的であり、入国審査ではさっそく外国人として指紋を左手、右手、親指とすべてとられる。つまり厳重なチェックである。ならば治安はさぞ良かろう。機械は強く画面を捺さないとうまく反応しない。自分は銀行のタッチパネルなどもうまく反応しない方なので少し手間がかかった。

 当日は夜中の12時というのに、武漢大学の大学院生が送迎の担当をしてくださった。中には日本からの留学生もいる。学生さんたちは静かで礼儀作法がきちんとしている。みなでぞろりぞろりと迎えのバンに乗り込み、武漢の近代的なホテルへと向かった。

 空港の周辺の車両は新車のショールームのようにその種類を競い合い、いわゆる欧米系の外車も多い。空港からの高速道路はドイツで移動したときと同じ構造で、近代都市というべきか、さまざまな形の高層マンションが美しく建ち並び、天空に向けて自らの存在を誇らしげに示していた。要するにグローバルなビジネス都市なのである。宿泊先までは、外資系ホテルが林立し、銀座6のようなデパートは、その店舗もそっくりHermèsやChanelなど誰もが知るブランドが入っている。

 だが少し走ると湖北省らしく長い長い川を渡った。「長江と揚子江はどう違うのですか?」と誰かが訪ねた。「揚子江は長江の下流のほう、河口の一部分です」と教えてもらう。その長さは6380キロメートル。チベットから華中を横断して、上海あたりで東シナ海にそそぐ、中国悠久の歴史、などという言葉がぴったりである。

 こうした会話などを聞きながら、移動途中に私は大いに反省した。やはり隣国に対する知識は多少なりとも必要であったのだ。

 おそらく多くの日本人にとって、中国とは「近くて遠い国」なのではないか。情報が入らず、どこかにうっすらと靄がかかり、日本・日本企業・日本人はひょっとしたら嫌われているか、というような気がするため何となく日本人は引いている。日本の側でもアメリカほどには中国を知らぬままにおり、大抵のニュースは大国家への未来型称賛型ではなく、優れたニュースはなかなか伝わってこない。ともかく国力といい急激な発展と変化といい、この力は畏るべし、というところであった。爆買いで日本のデパートが危機的状況を免れ、京都のメインストリートは中国人観光客で賑わっていても、まだまだ行ってみないとわからないことは多い。

 

さて、肝心の学会の様子は、以下のURLからご覧ください。

 

https://www.thepaper.cn/newsDetail_forward_2118383 

(『澎湃新闻』の「思想市場」)

 

http://philosophy.whu.edu.cn/info/1033/6691.htm 

(武漢大学哲学院)

 

https://mp.weixin.qq.com/s?__biz=MzA3OTM1OTQ2Ng==&mid=2651783920&idx=1&sn=aaaa227aff8dc6012735359f3553b81d&chksm=844f1e75b3389763f07c0189e61ba04fa3df61b32eefb0114cead93aeb9d7d7d93157d5b17d5&mpshare=1&scene=1&srcid=0507r50BOGs2D7CcFyW2clUu&pass_ticket=04qDi%2BZpjYh%2BFdNNC44kEIJ95XKyssrP%2BN65Dpq1tJUzs8wHamODueEhAwmgqwv1#rd 

(五祖寺「微信」)

 

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