春うらら
といえば、みなさまは、何を思い出すのでしょうか?
合唱部?
or ちょっと大人な方ですと、滝廉太郎の
春のうららの隅田川、
のぼりくだりのふなびとが、
櫂のしずくの花と散る
眺めを何にたとふべき
かしらん?
実は、
かつて環境が整っていたころ、明治時代、隅田川はとても美しい場所でして、川が澄んでいて、風光明媚で白魚の美味しい場所、ここに屋形船をだして、風流を楽しむ場所でした。
しかも隅田川は、『伊勢物語』東下りの「かきつばた」杜若
☆からごろも ☆きつつなれにし ☆つましあれば ☆はるばるきぬる ☆たびをしぞおもふ、
という各句の冒頭の音を集めると
か き つ は た
となる遊び心をもつ場所、
そして、浮世絵から影響を受けた
ゴッホのアイリスの世界、
そして、
ジョン レノンが感動した
歌舞伎の隅田川、&それそのままの原典である能の隅田川の場所でもあります。
古典文学の代表ともいえる業平が身を「ようなき物」として、さすらった、それが原点です。
そんな隅田川を眺めながら、爆弾が少なくとも頭から降ってこないことが前提の平和な日本、
水平射撃がない日本、
テロにより夜は外出禁止令がでる
ことのない日本、
学生が、出来不出来、関係なく自由に学問できる日本、
女子学生が普通に意見を述べられる日本、
がすごく世界的な諸問題から考えると素晴らしいことに気づきます。
本当に
空気、風、水の音、人のこころが
静かで粛々と過ぎていく日常生活に感謝するのでした。
また、一方で、
人々が、日々のニュースに
どれほどの苦しみを感じているか、
もはや、ニュースが見られないほど凶悪な犯罪がまかり通る日本、
でも、被害者ひとりの傷みは、日本の国の何億以上もの人々のこころの傷みであり、やはり許されることではありません。
ひとりの哀しみは、そのひとりを取り巻く家族の哀しみであり、すべて人々の揺れるこころの哀しみです。
どれほど多くの涙が流れるか、皆さんは知っていますか?
だから、
どうぞ、今宵はるのひとときを
はるばるきぬる旅をしぞ
思ってください。
隅田川を語るときの日本人は、蕎麦を語るときの日本人に似ているのです。
日本人は、蕎麦を語るとき、蕎麦打ちではなく、哲学を語り出す、とても不思議なことですが、蕎麦の伝書ができ、蕎麦というものへの自己の態度を表明する。 この伝統が日本というもののありかたです。
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