世阿弥関連年表

世阿弥の生涯とその関連事項の年表

元号 西暦 月日・事項
貞治2 1363 世阿弥〔元清〕誕生。(『不知記』)。この年か翌年貞治三年に生まれる。通称三郎。弟は四郎。(『申楽談儀』)。
応安1 1368 このころ観阿弥清次、曲舞がかりの新風の音曲「白髭の曲舞」を謡い出し、観世節が一世を風靡する(『五音』)。
応安4 1371 5月 須磨福祥寺〔須磨寺〕にて観世大夫〔観阿弥〕の勧進猿楽あり(福祥寺伝)。
応安5 1372 このころ観阿弥・世阿弥父子、醍醐寺にて7日間の勧進能を興行し、京に名声を高める。(醍醐寺新要録)。
応安6 1373 8月25日 京極道誉〔佐々木高氏〕没す(常楽記)。
永和1 1375 この年か前年、将軍足利義満が観世父子の猿楽能を、京都今熊野にて見物する。以後、後援者となる。大夫が「翁」を舞う新例を拓く。(申楽談儀)。
永和2 1376 4月17日 二条良基、世阿弥に会い「藤若」の名を与える(不知記)。藤若の美童ぶりを礼賛する(尊勝院宛良基消息詞4月17日付)
永和4 1378 4月27日 これ以前に、世阿弥「猿楽観世垂髪」〔藤若〕が、准后二条良基邸の連歌に加わり、褒められる(不知記)。この頃 多武峰の衆徒が、重代の天神自筆の「弥陀」の名号を「藤若」に贈る(申楽談儀)
永徳1 1381 4月12日 海老名南阿弥陀仏没す(時宗過去帳)。(常楽記は三月没)。
永徳2 1382 犬王、北野天満宮で演能、大盛況。(北野天満宮史料)
至徳1 1384 5月4日 観阿弥、駿河浅間神社で法楽能を舞う(風姿花伝)(常楽記)。
    5月19日 観阿弥、駿河に死去。52才(常楽記)(風姿花伝)。
    このころ結城出身の禅僧了堂真覚、大和味間の地に宝陀山補巌寺〔世阿弥忌日を示す補巌寺納帳を蔵す〕を建立す(日本洞上聯燈録)。
嘉慶2 1388 6月13日 二条良基没す。六九歳(公卿補任)。
応永1 1394 3月13日 足利義満、春日社参詣に下向、義満の宿所一条院にて世阿弥の猿楽あり(春日御詣記)(兼宣公記)(師盛記)。
応永5 1398 三世観世大夫三郎元重〔後の音阿弥〕生まれる。世阿弥の弟四郎の子。
応永6 1399 4月29日 醍醐寺三宝院で世阿弥の猿楽あり。室町殿〔義満〕・青蓮院・聖護院ら見物す(田中本迎陽記)。
    5月20日 一条竹鼻〔北野神社近辺〕に世阿弥の勧進猿楽あり(25日・26日も)。義満・義持見物(迎陽記)。
応永7 1400 四・一三 『風姿花伝』第三までの原型成る。(同書奥書)。このころ世阿弥の嫡男観世十郎元雅生まれる。
応永8 1401 この頃 観世大夫、「世阿弥陀仏」の擬法名的芸名を称し始める(申楽談儀)。
応永9 1402 3月2日  『風姿花伝』奥儀編、成るか(同書観世本奥書)。
応永12 1405 金春氏信〔禅竹〕が生まれる。後に世阿弥の女婿となる(諸書)
応永13 1406 このころ観世宗家本世阿弥自筆『花伝第六花修』・『花伝第七別紙』執筆。
応永15 1408 5月6日  足利義満没す。義持が実権を握る。
応永17 1410 6月29日  足利義持、島津元久宿所に観世大夫〔世阿弥〕の能を観る(山田聖栄自記)(薩藩旧記)(旧典類聚)(島津家譜)。

*島津氏から観世大夫の賜り物は七尺の太刀という。

応永19 1412 11月 世阿弥、神託により、伏見稲荷社に十番の法楽能演じる(申楽談儀)。
応永21 1414 閏7・11 世阿弥、能本「難波梅」を書写す。現存する最古の演劇台本。
応永23 1416 9月13日 春日若宮にて終日「観世三郎」〔世阿弥〕の猿楽あり(狩野亨吉氏蒐集文書)。
応永25 1418 2月17日 世阿弥、『花習内抜書』執筆。(観世文庫蔵同書奥書)。
応永26 1419 6月 世阿弥、音曲伝書(『音曲口伝』)執筆。
応永27 1420 6月 世阿弥、『至花道』執筆。
応永29 1422 4月18日  醍醐清滝宮神事猿楽、観世五郎・三郎勤仕する。観世入道・牛入道ら諷諫を副える(満済准后日記)。
    11月19日北野聖廟の霊夢により歌に観世入道世阿弥、合点する(申楽談儀)。
応永30 1423 2月6日  世阿弥伝書『三道』を次男七郎元能に相伝する。当世に評判の能として「高砂」など二十九番を列挙す(同書奥書)。

*『曲付次第』『風曲集』『遊楽習道風見』等の世阿弥伝書も前後して成立。

    8月12日 世阿弥、能本「盛久」を書写す(宝山寺蔵同本奥書)
応永31 1424 1月18日  世阿弥、能本「タダツノサエモン」を書写す(宝山寺蔵同本奥書)
    2月3日  岐陽方秀〔不二和尚〕没す。(延宝伝燈録)。桃源瑞仙〔不二和尚〕の『史記抄』には、「世阿弥躬短小、起座足踏而成節、蓋其技能習熟之所使然也、常在不二師座上笑談、且供禅寂之一噱」とある。
    4月17日  醍醐清滝宮猿楽、楽頭榎並の死去に伴い、新楽頭に世阿弥が任命。18日・21日観世大夫による猿楽あり(隆源僧正日記)(満済准后日記)。
    6月1日  世阿弥、『花鏡』を息男十郎元雅に相伝(観世文庫本四季祝言元能注記写)。
    9月20日  世阿弥、能本「江口」を書写し、後に金春氏信〔禅竹〕に相伝(宝山寺蔵同本奥書)。
応永33 1426 11月7日 世阿弥、能本「雲林院」を書写す(宝山寺同本奥書)。
応永34 1427 4月21日 観世大夫、清滝宮神前に別願として猿楽を法楽し、馬二十疋を頂戴す(満済准后日記)。
    10月 世阿弥、能本「松浦」を書写し、弟四郎の子三郎〔元重〕に相伝する(同書奥書)。
    11月 世阿弥、能本「阿古屋松」を書写する(同書奥書)。
応永年間 (年紀不明) 5月18日世阿弥、金春大夫〔氏信〕へ書を遣わす(宝山寺蔵文書)。
正長1 1428 2月 世阿弥、能本「布留」を書写する(同書奥書)。
    3月9日 世阿弥伝書『六義』を金春大夫〔氏信〕に相伝する(同書奥書)。

*世阿弥伝書『五位』『九位』この前後成立する。

    4月18日 醍醐清滝宮祭礼。観世大夫、前夜分の六番を勤仕する(満済准后日記)。
    5月21日 清滝宮拝殿前で観世大夫、法楽能七番を仕る(満済准后日記)。
    6月1日 世阿弥、『拾玉得花』を金春大夫〔氏信〕に相伝する(同書奥書)。
永享1 1429 5月3日 室町御所笠懸馬場で観世大夫両座〔十郎元雅の座と三郎元重の座〕対宝生大夫・十二五郎による多武峰様の立合猿楽があり。(満済准后日記)。
永享2 1430 1月11日 室町御所の松囃子、前年より盛ん(満済准后日記)に成り、世阿弥、音頭の節について意見を聞かれる(申楽談儀)。
    3月9日 世阿弥、座衆の心得『習道書』を著述する(同書奥書)。

*世阿弥の音曲伝書『五音』『五音曲条々』もこの前後に成立。

    4月17日 醍醐寺清滝宮祭礼の神事猿楽に、将軍の推薦で観世三郎〔元重〕が出演し、六番を舞う。(満済准后日記)。
    11月11日 観世七郎元能、父の芸談を『世子六十以後申楽談儀』〔通称『申楽談儀』〕にまとめ出家遁世す(同書奥書)。
永享4 1431 1月24日 細川奥州〔持経〕の若党、室町御所に五番の能を演じる。世阿弥・元雅も一番ずつ舞う(満済准号日記)。

*世阿弥父子最後の活動記録。

    9月 世阿弥、前日に没した息男元雅への追悼文『夢跡一紙』を書く(同書)。
    10月29日世阿弥伝書『五位』に跋文を添えた清原良賢(法名常宗)没する。85歳(清原家系図)。
永享5 1433 3月、世阿弥、最後の能楽論書『却来華』を著述する(同書)。
永享6 1434 5月4日 世阿弥、佐渡へ配流。下旬に到着し佐渡の配所新保の万福寺に入る(金島書)。秋、世阿弥戦乱を避け、新保より西の泉の地へ移る(金島書)。
永享7 1435 6月8日 世阿弥、佐渡より女婿金春大夫〔禅竹〕に書状を出し、妻寿椿への扶持等を謝し、鬼能を戒める(宝山寺蔵世阿弥佐渡書状)。
永享8 1436 2月 世阿弥、佐渡で曲舞集の『金島書』を編む。世阿弥最後の記録。
嘉吉2 1442 八月 金春大夫〔禅竹〕、世阿弥伝書『花伝第七別紙口伝』を密かに書写す。断簡二葉が現存(能楽研究所蔵「日記人形口伝」)。
嘉吉3 1443 (この頃)八・八 世阿弥没するか。〔『観世小次郎信光画像賛』の享年八十一説〕忌日は『補巌寺納帳』による。